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屋比久流空手 ティ・ヒザ・ボ
八重山拳法の歴史

昭和13年 12月4日 沖縄県玉城村字親が原で屋比久正勝宗家が生を受ける。

     宗家10歳の時、親が原青年会が開催した村芝居の中で空手・
                    棒術
の演武を見て、空手、古武道に目覚める。

昭和28年 真和志中学2年の時より本格的な空手修行に入る。

昭和33年 南部農林高等学校卒業

昭和34年 八重山郡大浜町字吉野で空手道場を建設し指導に入る。

昭和42年 琉球警察官拝命。4年間勤務に就く。

昭和46年 神奈川県横浜市神奈川区片倉町で空手道場開設。

昭和58年 第一回屋比久流空手道八空会全国大会を横浜市で開催。

平成元年 沖縄屋比久流空手道協会、古武道協会創立30周年記念大会を石垣市で開催。
     この頃北は北海道、南は沖縄そして海外支部含めのべ80か所に道場を持ち、
     破竹の勢いで屋比久流空手が広まっていく。

平成2年   八重山唯一の武道文化として八重山拳法を編み出し世に出す。

    ※横浜の沖縄屋比久流空手道協会と、石垣で開いた屋比久流心拳八重山
     拳法王道会は、屋比久宗家が趣旨が異なるとの事から兄弟のような関係に
     ありながら全く違う流派として今もそれぞれの道を歩んでいます。

平成3年   沖縄国際武道空手連盟初代会長に就任。

平成14年 石垣市より石垣島唯一の武道文化として認定され、石垣市文化協会に所属。

平成19年 二代目会長に玻名城哲夫10段が就任。屋比久正勝宗家は会長の座を降りる。

​平成24年 屋比久正勝宗家 故人になられる。享年74歳。


    ※八重山空手研究会⇒屋比久流空手道八空会⇒沖縄屋比久流空手道協会⇒
     屋比久流心拳八重山拳法王道会へと発展改称し今に至っています。


宗家いわく、「八重山拳法を修行する所以は、勝敗に終始する
格闘技ではなく、地道な修練の中から人間として一番大切な健
康を最も留意し、克己・義理・人情・恩愛・信義に厚く、思い
やりのある寛大なる心を養い、きびきびとした動作ではきはき
と物が言えて、人生を清く正しく生き抜き、自らの人生の王者
を育成する事こそ究極である。」とされました。
また、万が一不正の暴力や不正の侵害にあってしまった時、
自らの生命を守り、家族や財産を守る為の護身術として、
八重山拳法を編み出されています。


道場開設以降、屋比久正勝宗家の門を潜った門人は数千人を超えました。

宗家いわく「それぞれの立場で地域社会の為に小さく大きく貢献

している姿を見た時、また耳にした時、無上の喜びを感じる。」

とおっしゃっておりました。


宗家の遺志を継ぎ、八重山拳法は今も地域社会に貢献するべく奮闘しております。

屋比久流空手 歴史概略

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